歯を残すための「最後の砦」が抱える三重苦とは?
根管治療の主な対象となるのは、深い虫歯を放置してしまったり、以前の治療がうまくいかなかったりして、歯の内部に細菌が入り込み、炎症を起こしてしまった方々です。ひどい場合は、虫歯菌などが歯の神経を通り越し、さらに奥にある「顎の骨」にまで到達して、骨を破壊し始めてしまうこともあります。
もし、この状態を放っておいたり、治療がうまくいかなかったりすると、激しい痛みや腫れに苦しむだけでなく、最終的には「抜歯」するしか選択肢がなくなってしまうことも珍しくありません。歯を失うことは、単に見た目の問題だけでなく、食事がしづらくなったり、話すのが難しくなったりと、生活の質を大きく下げてしまいます。そして、それが結果的に健康寿命を縮めることにもつながる、重大な社会課題でもあるのです。だからこそ、その場しのぎの治療ではなく、根本から問題を解決する根管治療が求められています。
ところが、実はこの根管治療、歯科医師の間では「治らない・難しい・儲からない」という「三重苦」を抱えていると言われています。日本の保険診療での成功率は約50〜60%にとどまり、残念ながら再治療を繰り返した末に、結局抜歯に至るケースも後を絶ちません。また、治療に手間と時間がかかる割に、診療報酬が低いという構造的な問題もあり、丁寧に治療を行うほど、歯科医院の経営を圧迫してしまうという現実もあります。
「成功率が50%って、ちょっと驚きですよね。なぜそんなに難しいのでしょうか?」
これまでの根管治療は、歯の内部にある感染源(細菌や汚染物質)を取り除くことが主な目的でした。しかし、炎症が重症化して、歯を支えている「顎骨(あごの骨)」にまで及んで破壊が進んでいる場合、歯の中をいくらきれいに掃除しても、それだけではなかなか治りません。特に、糖尿病などの基礎疾患がある方などは、体の自然治癒力だけでは回復が見込めず、炎症を起こしている部位そのものを積極的に治療する必要があるのです。
レーザーの力で、薬が骨の奥深くまで届く!L-DDSの秘密
しかし、骨というのは非常に硬く、緻密な組織です。そこにただ薬を入れただけでは、病変の奥深くまで浸透させることは難しいとされていました。そこで、東京科学大学の大学院医歯学総合研究科で歯髄生物学分野の教授を務める八幡祥生先生たちが開発したのが、「L-DDS(Laser-assisted Drug Delivery System)」という新しい技術です。
このL-DDSは、レーザーの力を利用して、薬剤を骨の奥深くまで強制的に送り込むという、画期的な方法なんです。具体的には、パルスレーザーが水中で発生させる「キャビテーション(泡)」という現象に着目しています。専用の装置を使って歯の内部でレーザーを照射すると、瞬時に小さな泡が発生し、それが一気に膨らみます。この膨張の際にジェット水流が生まれ、さらに泡が弾ける時には衝撃圧が発生します。L-DDSは、これらの物理的な力を活用して、抗炎症薬を顎骨内の病変部まで能動的に、つまり「積極的に」拡散させることを可能にするのです。

動物実験では、このL-DDSを使って薬剤を投与することで、顎骨の破壊された領域が大幅に縮小し、治癒が促進されることが確認されています。この技術が実用化されれば、これまで「抜くしかない」と宣告されてきた歯でも、自分の歯として残せる可能性が飛躍的に高まることでしょう。これは、多くの患者さんにとって、まさに希望の光となるはずです。
技術だけでは終わらない!医療を変えるビジネスモデルの挑戦
「L-DDSはまさに技術的なイノベーションですが、八幡先生たちの構想は、単なる技術開発だけにとどまらないと聞いています。」
八幡先生は、「良い技術があるだけでは、なかなか医療全体を変えることはできません」と語ります。先ほどお話しした「儲からない(経済合理性がない)」という根管治療が抱える課題も、同時に解決していく必要があると考えているのです。
現在、日本の歯科医療では、保険診療の限界を感じ、より質の高い治療を提供するために「自由診療」へと移行する動きが加速しています。しかし、高度な根管治療を行うためには、高額な顕微鏡やCTといった最新の設備への投資が必要ですし、なによりも熟練した技術を持つ歯科医師が不可欠です。
そこで八幡先生たちは、L-DDSという医療機器を販売するだけでなく、この革新的な技術を使った「専門クリニック」の開業支援や、L-DDSの技術を習得した専門医を育成して派遣する人材サービスまで含めた、包括的なパッケージ展開を構想しています。

「技術だけでなく、ビジネスモデルそのものを変革しようとされているのですね。」
おっしゃる通りです。不妊治療の分野では、専門クリニックが一般的になっていますが、根管治療でも同様のモデルを目指しているとのこと。L-DDSという「ハードウェア(医療機器)」と、「確かな技術を持った専門医」という「ソフトウェア(人材・ノウハウ)」をセットで提供することで、歯科医師は経営や治療に集中でき、そして患者さんは「自分の歯を残す」という最良の結果を得られる。この「三方よし」の環境を社会全体に広げていくことが、八幡先生たちの目指す社会実装の形です。
未来へ向かうTOKYO SUTEAM協定事業の歩み
この革新的な取り組みは、ReGACY Innovation Group株式会社と東京科学大学が連携して推進する「TOKYO SUTEAM」協定事業の一環として進められています。この事業を通じて、八幡先生は研究者としての視点だけでなく、「経営者」としての視点を持つことの重要性を強く感じているそうです。
これまでは「良いデータが出た」「素晴らしい論文が書けた」ということが研究のゴールになりがちでした。しかし、実際に事業として社会に展開していくためには、「誰がこの治療にお金を払うのか?」「市場の規模はどれくらいなのか?」「医療機器として承認を得るためのロードマップはどう描くか?」といった、より具体的でシビアな戦略が求められます。ReGACY Innovation Groupからのメンタリングを通じて、事業計画の精緻化や、臨床試験の計画立案を担う専門機関との連携など、力強い支援を受けているとのことです。
現在は、2028年のスタートアップ起業と専門クリニックの開設を目指して、L-DDSのプロトタイプ(試作品)開発と並行して、事業を推進するための経営チームの組成も着々と進められています。
世界中の人々の「噛める喜び」を守るために
八幡先生は、今後の展望として、根管治療の世界市場が、高齢化に伴う歯の保存需要の高まりによって、2030年には220〜370億米ドル(日本円で約3兆円以上)へと大きく成長すると予測されていることを挙げています。そして、「私たちは日本で生まれたこの技術で、世界の歯科医療を変えていきたいと考えています」と、その強い決意を語っています。
このL-DDSという技術が広く普及すれば、世界中の多くの患者さんが、自分の歯でしっかりと噛める喜びを維持し、それが結果的に健康寿命を延ばすことにもつながります。道のりは決して平坦ではないでしょう。しかし、この革新的な技術とビジネスモデルが、歯のトラブルで悩む多くの人々に、きっと明るい未来をもたらしてくれるはずです。自分の歯を大切にしたいと願うすべての人にとって、この新しい治療法が選択肢の一つとなる日が来ることを、心から願っています。
