双極症ってどんな病気?
改めて双極症についてお話ししましょう。これは、以前は「躁うつ病」とも呼ばれていた精神疾患で、気分が高揚して活動的になる「躁状態」と、気分が沈み込んで何も手につかなくなる「うつ状態」を繰り返すのが特徴です。世界中で約1%もの人がこの病気に苦しんでいると言われており、その症状の波は、日々の生活だけでなく、仕事や人間関係にも大きな影響を与え、時には自殺リスクを高めることもあります。患者さんだけでなく、そのご家族にとっても、大きな負担となる深刻な病気なのです。
これまでの治療法は、症状を和らげる薬物療法が中心でしたが、根本的な原因が不明なため、病気の波を完全にコントロールすることは難しいのが現状でした。
これまでの研究と今回の発見
これまで、双極症の研究は主に「大脳皮質」という脳の表面部分に焦点を当てて進められてきました。大脳皮質は、思考や感情、記憶といった高度な精神活動を司る重要な部位だからです。しかし、MRI(磁気共鳴画像装置)を使った研究では、大脳皮質だけでなく、脳の奥深くにある「視床」という部位の体積が減少していることも報告されていました。
この「視床」の中でも、順天堂大学の西岡将基准教授、加藤忠史教授、坂下(窪田)美恵特任准教授らの国際共同研究グループは、特に「視床室傍核(PVT)」という小さな部位に注目しました。動物モデルの研究から、このPVTが情動やストレス応答に深く関わっていることが分かってきていたからです。しかし、ヒトの脳におけるPVTの詳しい構造や、双極症との関連は、これまでほとんど解明されていませんでした。今回の研究は、この謎に包まれたPVTの役割を明らかにし、双極症の根本原因に迫ることを目的としていました。
「視床室傍核(PVT)」って何?
視床室傍核(PVT)は、脳の中心部にある「視床」という領域の一部です。視床は、五感から入ってくる情報を大脳皮質に伝える「中継地点」のような役割を担っています。その中でもPVTは、感情や報酬、ストレスの制御に関与する重要な神経核だと考えられています。簡単に言えば、私たちが「嬉しい」「悲しい」「怖い」と感じたり、何かを達成した時に「やった!」という喜びを感じたり、ストレスを感じた時に体が反応したりする、そういった感情や反応の「司令塔」の一つとして機能している場所なのです。
このPVTは、脳内の「セロトニン神経」という、気分や感情の調整に関わる神経系から強い影響を受けています。また、PVTから伸びる神経線維は、恐怖を感じる「扁桃体」や、喜びや報酬に関わる「側坐核」といった、感情に深く関わる他の脳部位へと枝分かれして情報を送っています。つまり、PVTは私たちの感情の「強さ」を調整する、非常にデリケートで重要な役割を担っていると言えるでしょう。
驚きの研究結果!PVTに何が起こっていたのか?
今回の研究では、双極症患者さん21名と、双極症ではない方(対照者)20名の、合計41名の方の死後脳、それも視床と大脳皮質という二つの部位から、合計82もの貴重な試料を用いて、非常に大規模な解析が行われました。研究チームは、「単一核RNAシーケンス解析」という、個々の神経細胞の核レベルで遺伝子の働きを調べる最先端の手法を駆使しました。これは、まるで広大な森の中から一本一本の木の種類や状態を詳しく調べるような、非常に精密な解析方法です。
その結果、驚くべき事実が明らかになりました。約38万個もの細胞核を解析したところ、双極症の患者さんでは、なんと視床室傍核(PVT)の神経細胞が約半数にまで減少していることが判明したのです。この細胞数の減少は、PVTの神経細胞の目印となる「VGLUT2」というタンパク質に対する染色実験でも確認され、その信頼性が裏付けられました。

図1: 死後脳試料の解析により、視床室傍核と思われる細胞群が同定され、マウスのデータや空間トランスクリプトーム解析によってその存在が確認された様子を示しています。

図2a: 単一核RNA解析により、双極症患者では視床室傍核の興奮性神経細胞が顕著に減少していることが示されています。

図2b: 免疫組織化学解析でも、双極症患者の視床室傍核においてVGLUT2陽性神経細胞(視床興奮性神経細胞のマーカー)の数が減少していることが確認されました。
さらに、このPVTの神経細胞では、遺伝子の働きにも大きな変化が見られました。特に、神経細胞同士が情報をやり取りする「シナプス」の伝達や、神経細胞の興奮に不可欠な「イオンチャネル」の機能に関わる遺伝子群の発現が著しく低下していたのです。これらの遺伝子の中には、「CACNA1C」や「SHISA9」といった、すでに双極症の発症リスクを高めることが知られている遺伝子も多く含まれていました。これは、PVTの神経細胞が単に数が減っているだけでなく、その「質」も低下していることを示唆しています。
また、脳の免疫細胞である「ミクログリア」とPVTの神経細胞との間の連携も障害されている可能性が示されました。ミクログリアは、神経回路のメンテナンスや炎症反応の制御に関わる重要な細胞です。この連携の破綻が、病態に深く関与していることも考えられます。これらの変化は、大脳皮質よりも視床、とりわけPVTで非常に顕著であったことから、PVTが双極症の病態の「中心的な場所」であるという強い証拠が突きつけられたのです。

図3a: 各細胞種の中で、視床室傍核の神経細胞が最も多くの遺伝子発現変動を示していることが分かります。
図3b: 視床室傍核で発現が低下していた遺伝子群には、双極症のリスク遺伝子が多数含まれており、これらの遺伝子が互いに連携している様子が示されています。
この発見が意味すること
これまでの双極症の病態研究は、漠然と大脳皮質が中心だと考えられてきました。しかし今回の研究は、脳の奥深くにある「視床室傍核(PVT)」が、双極症の症状の根源に大きく関わっていることを明確に示しました。PVTは、私たちが外界から受け取る情報の「重要度」や「感情的な意味合い」を判断し、それに応じて感情の強さを調整する役割を担っています。
動物実験では、このPVTを操作すると、抑制した場合でも、刺激した場合でも、うつ病のような行動を繰り返すことが分かっています。このことから、今回見つかったPVTの神経細胞の減少や機能不全は、双極症の「結果」として起こるものではなく、双極症の「原因」である可能性が極めて高いと考えられます。感情の強さを適切に調整できなくなることで、躁状態と鬱状態という極端な感情の波が繰り返されるのかもしれません。
この発見について、研究者の西岡将基准教授は「長年大脳皮質に注目してきましたが、PVTという見過ごされがちだった中枢により顕著な病態が存在することを示すことができました。本成果が、診断や治療の新たな突破口につながることを期待しています」と語っています。また、36年間にわたり双極症の原因解明を目指してきた加藤忠史教授も、「今回の結果により、ついに双極症の病態の中心を解明することができたと考えています。原因部位の解明は、診断法や治療法開発の出発点であり、今回の発見が海外でも再現され、世界的に認められれば、双極症研究が飛躍的に進歩することが期待出来ます」と、その大きな意義を強調しています。
この研究成果は、Nature Communications誌にオンライン版で公開されています。
これからの希望
今回の発見は、双極症の診断と治療に、まったく新しい道筋を開くものです。今後、このPVTをターゲットにした、より精度の高い「脳画像診断法」が開発されるかもしれません。これによって、双極症の早期発見や、病態の進行度を客観的に評価できるようになる可能性があります。
さらに、動物モデルやiPS細胞(人工多能性幹細胞)を用いた研究が進められることで、PVTの神経細胞の障害が、具体的にどのようにして感情の変動を引き起こすのか、その詳しいメカニズムが解明されるでしょう。この解明は、症状を和らげるだけでなく、病気の根本的な原因に働きかける「病態修飾的治療法」の確立へと繋がることが期待されます。例えば、PVTの機能を回復させるような新しい薬や、脳を直接刺激する治療法などが生まれるかもしれません。

図4: 視床室傍核(PVT)が感情制御の重要な中枢であり、セロトニン神経からの投射を受け、恐怖や報酬に関わる扁桃体や側坐核へと情報を送る神経回路の様子を示しています。
まとめ
双極症という病気は、多くの人にとって理解されにくく、孤独を感じやすいものです。しかし、今回の研究成果は、あなたの苦しみが、脳の特定の部位の機能不全によるものである可能性が高いことを示しています。これは、あなたのせいではない、そして、いつかきっと、もっと良い未来が訪れるという、力強いメッセージです。
この画期的な発見は、双極症で悩むすべての人にとって、希望の光となるでしょう。研究はまだ始まったばかりですが、この一歩が、より効果的な診断法や、根本的な治療法の開発へと繋がり、あなたが感情の波に翻弄されることなく、穏やかで充実した日々を送れるようになる未来を切り開いてくれるはずです。未来に希望を持って、一緒にこの研究の進展を見守っていきましょう。
